御祭神・由緒

御祭神

【主祭神】 誉⽥別命

【摂 社】 宇迦之御魂神

【境 内】 地蔵尊、⾺頭観⾳、庚申塚

御神徳

国家安泰、産業振興、成功勝利、厄除開運

災難除け、疫病退散、家運隆昌、⼦孫繁栄

交通安全、家庭・学校・社会教育など


「八幡さま」とは

当神社の主祭神は、日本文化の基礎を築かれ八幡信仰のご祭神として「八幡さま」で親しまれる、文武の神・誉田別命が鎮座しております。

誉田別命は「応神天皇」の名でも知られ、日本文化の基礎を築かれました。

ご神名はその他にも、品陀和気命・大鞆和気命・誉田天皇・胎中天皇とも称えられます。


八幡信仰の御祭神として祀られ、その数は実に全国に3~4万社。

戦前までは武神として崇められていましたが、戦後は鳩が御祭神のお使いであることからも「平和の神」として、また教育や縁結びなど、私たちの日常生活に根ざした諸願成就を導かれる神としても、篤く信仰されております。


由緒について

当社は近隣の、小山八幡神社からの分祀にて創建とされています。

小山八幡神社は長元3年(1030)ご創建の八幡神社で、小山村一帯の鎮守です。


江戸時代の延宝・元禄年間(1673~1704)に三谷地区の名主・石井助太夫が小山八幡神社の八幡神像を屋敷内に奉遷されました。

その後、当地にあった出世稲荷社の境内に遷座して「三谷八幡」と呼ばれるようになり、小山村・三谷地区の鎮守となりました。


氏子地域の歴史

江戸時代の武蔵小山一帯は畑や竹薮、雑木林が生い繁り、江戸・東京市中で出回る筍のほとんどを生産していたとも言われています。

現在の町の区画は三谷耕地整理組合により昭和4年に完成しましたが、戦時中に東京大空襲による多大な被害を受け、当社も社殿が焼失。戦後、昭和32年(1957)に社殿が再建されました。

近隣に都内最長800mのアーケードを有する武蔵小山商店街(パルム)も誕生し、当社は商売繁盛の神としても崇敬されています。